私の第1回目のエッセーが10月25日付の沖縄タイムス教育面に掲載されました。
《 何を伝えてくれる人か 》
フランスに県費留学して5年目の2008年9月、私はパリ郊外の小さな音楽学校で、指導者としての第一歩を踏み出した。私の専門は、日本ではまだ指導者が数人しかいない「フォルマシオン・ミュジカル(総合的音楽基礎教育)」。1970年代後半から現地の公立音楽学校で必須科目とされ、年齢・レベル別に分けられた12人程のクラスでグループ授業が毎週行われている。
「外国人の私を生徒や保護者は受け入れてくれるだろうか」。そんな不安は、すぐにどうでもよいことだと気付かされた。彼らの興味は、新しい指導者が「何人(なにびと)か」ではなく、「何を伝えてくれる人か」。とてもうれしかったが、私はその期待に応えることができなかった。ピアニストとしての経験はあっても、「指導力」は別物だからだ。
その後は、寝る間を惜しんで授業の準備をする日々。これまでと違って、頑張ってもなかなか思うようにいかない。当初は指導者として1年経験したら帰国しようとしていたが、次の年には指導者国家資格を得るための準備学校を受験することを決意した。
フランスにはピアノやバイオリンなどの器楽指導を含めた音楽専門教育の指導者を育てる高等教育機関があり、さまざまな研修が用意されている。国家資格取得後は公立音楽学校で指導することが可能となり、外国人もその例外ではない。
現地の公立音楽学校に勤務して今年で9年目。指導者が学べる場の必要性を認識し、2016年からは沖縄で指導者向けの講座を開催している。故郷沖縄へ還元すること。遅ればせながら留学当初の志を実現するために歩み始めたばかりである。(フランス公立音楽学校教諭、フォルマシオン・ミュジカル専門)