ソルフェージュ改革から30年以上経ち ③

ソルフェージュ改革から30年以上経ち②の続き

 


Formation Musicale 教員育成クラス(コンクール準備クラス)

オデットは、パリ国立高等音楽院に通うレベルの高い学生やプロを目指す学生しか教えておらず、そのより前の学習課程(県立や市立音楽学校で施されている課程)について詳細は知る機会がありませんでした。 「フォルマシオン・ミュジカル教員養成クラスの指導者」として任命された後、オデットは驚くべき早さでそれらすべてを自分のものにし、FM授業の準備をする学生に、その授業がどのレベルを対象としたものであっても、的確な指導します。

12人の学生たち。グループ一斉授業よりも、それぞれの良い点、改善すべき点を把握するために、一人一人との対話を大切にします。オデットは当時の事をこう振り返っています。

❝学生達とはよく学び、よく話をしました。それは温かく、友好的なものでした。この教員育成クラスをのために、私は多くの時間を費やし、出来る限りの事をし尽くし、その結果多大な満足感を得ました。私は生徒達と一緒に、多くの事を学んだのです。❞

オデットは、試験を受ける学生のために試験内容に沿った、非常に精密なプログラムを作成します。さて、当時のFM教員になるための試験とはどのようなものだったのでしょうか。

試験は「技術試験」と「教育試験」に区別される。

「技術試験」:3つの楽器による無調の聴音、リズムと和声聴音、間違い探し、視唱、読譜、リズム読み、メロディーとリズムの記憶、移調、和声、和声付け、分析、声又は楽器による即興、リズム即興、視奏、専攻楽器による演奏。

「教育試験」:幼児向けの授業、第一又は第二課程の授業、そして第三課程又は上級クラスの授業をそれぞれ一コマずつ、児童合唱の指導、そして最後に試験官との面談。

これら「技術試験」と「教育試験」は続けて行われ三週間にも及ぶが、一次試験の「技術試験」に合格しなければ「教育試験」に進むことが出来ない。

技術試験は難易度のかなり高いものでしたが、彼女の試験準備クラスでは、「まとまりのある、一貫性のある」授業を行います。

オデットはFMと、バロック時代に施されていた音楽教育をくらべるのが好きでした。その時代は1人の音楽教師が、過去、又は同時代の作曲家の研究を通して、器楽、対位法、作曲、の指導を行うというものでした。オデットの授業は総合的な音楽教育であり、20世紀前半に行われていたような、「結果、分裂した教育にたどり着く」ような教育ではありませんでした。

オデットはソルフェージュ教育をこう振り返っています。

❝時が経つにつれ、ソルフェージュは高い技術力を養うが、あまりにも細分化した教育になってしまった。私は器楽とソルフェージュはほどんど同時に学ぶべきものだと思っている。この必要不可欠の関係、器楽演奏とソルフェージュの繋がりこそ、フォルマシオン・ミュジカルの導入によって私たちが構築したかったものなのです。

テクニックは音楽とともに、音楽の中で行う。ソルフェージュ改革という言葉よりも、私は「原点に立ち返る」と言う方が好ましいと思います。❞

一年後、オデットとの下で学んだ約12人の学生たちは、試験に挑みます。この様にして、これまでに120名以上の学生が教師免許を取得しました。ほどんどが一年~数年目で合格し、合格に至らなかった学生はほんの僅かです。しかしながら、試験の合否はオデットにとって「成功」を意味するものではありませんでした。彼女は、合格した学生の中には「新しいソルフェージュのアプローチ法」に確信が持てず、実際の授業では「従来のソルフェージュ教本を使用した授業」を行うものもいるだろう、ということに気づいていました。ですが、オデットはそのことに驚きませんでした。なぜなら、彼らは他の審査員が選んだ生徒だからです。そして、中にはオデットのクラスに入れるくらい十分なテクニックがあっても、彼女の取り組みを理解するために適した能力を備えていないものもいました。

真ん中に座っているのがオデット・ガルテンローブ。彼女の右隣に座っているのが本の著者であるジャン・ミッシェル・フェラン氏。(1978年~1979年のFM教員育成クラス)

ソルフェージュ改革から30年以上経ち④に続く

この記事は2017年発行の『Odette Gartenlaub (Jean-Michel Ferran)』、FM指導者協会発行紙掲載記事、実際のインタビュー音源、ガルテンローブのFM教員育成クラス出身者数名からの証言を抜粋しまとめたものです。


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