ソルフェージュ改革から30年以上経ち③の続き
フォルマシオン・ミュジカルのその後 ~ オデットの退官後 ~
コンセルヴァトワールで過ごした最後の数年間、オデットがすべてのエネルギーを注いだこの「FM教員育成クラス」は多くの喜びを与え、そして学生たちは自分に多くのものをもたらしてくれた、と良く言っていました。しかしながら、時が経ったとき、彼女は再び疑念に襲われることとなります。一部の指導者が、フォルマシオン・ミュジカルを間違った方向へ、特に、必要な技術的内容を取り去った形へと導き、FMが「道を見失った」状態を徐々に目の当たりにするようになるのです。
オデットにとって、これまでと同様に生徒たちに❝ソルフェージュ能力を養い続ける❞ことに何の疑いももっていませんでした。
フォルマシオン・ミュジカルのグループレッスンによって得られる幅広い知識により、生徒たちはソルフェージュと器楽との間にある関係を理解します。ソルフェージュをする。そうです。しかしそれは音楽の中で音楽と共にするのです。
フォルマシオン・ミュジカルは音楽についての絶え間ない考察と真の理解をもたらします。
【オデット・ガルテンローブオフィシャルサイト】より
『残念ながら、一部の指導者はこの改革を正しく理解できていなった。』と語るオデット。1994年と1996年の記事(FM指導者協会発行紙、パリ・コンセルヴァトワール通信)に、オデットはこのような内容の記事を寄せています。
❝この改革によってすべての問題が解決したわけではありません。まだ完全に適用されておらず、特に経験年数が浅い。そして、私たちはこれまでのやり方を変えることがどんなに難しい事かよく知っています。ようするに、これまでの習慣に囚われ続けている事が多いのです。熱意があっても、時に間違った曲選択をしたり、音楽と技術のバランスの習得に至っていない事ががかなり頻繁にあるのです。素晴らしい音楽作品を使用し、質の悪いソルフェージュをする。そうすると求めていたものとは逆の結果を得ることになります。
FMの授業は音楽入門コースのような「音楽鑑賞クラス」と見なしてはいけない。アマチュアでもプロでも音楽家にとって必要不可欠なテクニックを教えなければなりません。フォルマシオン・ミュジカルのために推奨されたすべてのアイディアは、常に正しく解釈され、習得されたわけではありません。❞
オデットは退官後、教育者としてのキャリアはいくつかの研修に限られることとなります。
フォルマシオン・ミュジカルの研修は、ニース開催夏期講習(1985年~1991年)にて、また、ポワティエでは、オデットから伝統的なフランスのピアノ奏法を学ぶために、フランスに来た何名かの日本人のために研修が開催されました。オデットが素晴らしいピアノ芸術を伝えるための、十分な時間を持てなかったことが残念でなりません。日本人学生との交流は長く続きました。彼女と一緒に写った写真や、オデットが病の時に贈られた何百もの色とりどりの折り紙の『花束(折り鶴)』がそれを証明しています。彼女はベーゼンドルファーの鍵盤の傍にその折り鶴を飾っていました。
90年代、オデットは杖を伴いながらフランスのいたるところでの講演会や、教員たちとの教育的交流という形で、自身の知識と経験を伝え、以前と同じように、若い世代に音楽教育において一番大切なものは何かを伝えようとしていた。彼女の様に音楽に対する強い想いを晩年まで持ち続けられるように…
今でも私は音楽なしでは過ごすことはできない。
残念なのは、私がこの世を去った後にもう音楽を聴くことが出来ないこと…
オデット・ガルテンローブ
オデット・ガルテンローブ ピアノリサイタル (1991年2月):
※この記事は2017年発行の『Odette Gartenlaub (Jean-Michel Ferran著)』、FM指導者協会発行紙掲載記事、実際のインタビュー音源、ガルテンローブのFM教員育成クラス出身者数名からの証言を抜粋しまとめたものです。