ソルフェージュ改革から30年以上経ち ①

ソルフェージュ改革から30年以上経ち

~ 改革前とその後、そしてフォルマシオン・ミュジカルの未来について ~

2014年10月にパリ地方で開催された「フォルマシオン・ミュジカル指導者学会」は特別なものでした。なぜなら、FM指導者協会設立30年目という節目の年であったから。そのことは、ソルフェージュ改革から30年以上経っていることを意味します。改革の中心人物であったOdette Gartenlaub (オデット・ガルテンローブ女史)の存在無しには、フォルマシオン・ミュジカルを語ることはできません。ですが残念なことに、学会開催の週数間前に彼女はこの世を去ってしまいます。病にも関わらず、この年の学会開催のための協力していたオデット。「音楽に対する情熱、新しい考えを後生に伝えたい」という想いの強さは、改革当時と変わっていないことに驚かされます。

第30回FM指導者学会には、フォルマシオン・ミュジカルの誕生に関わったオデットの協力者達も集い、彼らの証言と彼女の生前のインタビュー音声録音と共に、これまでの道のりを振り返ります。

オデット・ガルテンローブについて

パリのコンセルヴァトワールでMarguerite Longのピアノクラスに在籍し14歳で1等賞、作曲ではローマ大賞を受賞し、ドビュッシーのピアノ作品を録音、パリ国立音楽院で教授を経て、フォルマシオン・ミュジカル指導者協会の会長に就任。音楽家、演奏家としての偉大な功績を残しながらも彼女が選んだのは教育者としての道でした。音楽家、ピアニスト、指導者、オデットの《厳格さと芸術の両存》は、時計職人であった彼女の父から受け継いでいるのでしょう。

オデットは音楽そのものだった。頭の中いつも音楽が聞こえていて、夢でも音楽。彼女は自身が永久に眠る場所に、彼女の好きな作曲家の中からバッハを連れていく事を選んだの。だって彼無しでは、オデットは生きる事も死ぬことも不可能だったのだから。❞

~オデットの娘、パスカル・ガルテンローブの手紙より~


ソルフェージュ改革に至るまで

彼女の中で、「音楽教育の精神を変えなければならない」という想いが、ソルフェージュ改革以前から、1970年代よりも前からあったこと。そして彼女の仲間と共にどのようにして、その変革を可能にしたのか。インタビューの中で語られています。

彼女はコンセルヴァトワールの試験内容について話はじめました。

「二声聴音が音楽の流れ関係なく二小節に区切られ、オーボエやクラリネットも同じように興味深いのに聴音はいつもピアノ。音楽理論は計算や途方もない移調などで成り立っていて……」

ある日、オデットはこのような度を過ぎた練習問題に嫌気がさして、自身の授業にある音楽作品を持っていくことを決意します。初めての授業はバッハのミサ曲ロ短調。「はい!皆さん一緒に楽譜を読みましょう!」生徒たちは皆驚いていて、その授業は上手くいかなかったと語るオデット。それでも彼女は諦めず、その後も再チャレンジします。1958年の出来事です。

彼女は「ソルフェージュの目的が何であるかを、ソルフェージュの為ではないソルフェージュを見せたかった」、そして、当然ながら、「将来の音楽家達が音楽作品と一生を共にする事(※音楽作品を知る)を望んでいた」、と続けます。そして彼女は自身の学生時代を振り返りながら、インタビューの聞き手に語り掛けます。「ソルフェージュの授業でよくこの練習曲を歌ったの(と歌うオデット)。この曲を覚えているよりも、シューマンやモーツアルトの歌曲を何か一曲知っている方が良いと、あななたちはそう思わない?」

当時、オデットは現行のソルフェージュ教育について疑問を抱いていました。そんな折、Marc Bleuseマーク・ブルーズ(文化省音楽部門の監査総局長)との出会いが彼女の信念を実現させるきっかけとなったのです。

私は、文化省・音楽部門で開催されたソルフェージュ教育に関するシンポジウムに招待されました。監査総局長であるマーク・ブルーズは、ソルフェージュ教育は細分化され過ぎていて、真の音楽からとても遠くにある、と考えていました。私は彼の意見に全く同意していたことから、コンセルヴァトワールの学長や指導者たちと一緒に、「音楽作品から学ぶソルフェージュ」を含んだ、新しい学習課程の作成に取り掛かりました。この学習は生徒にとっても、指導者にとってもより教育的で、より興味深いのですが、より実現することが難しいののです。なぜなら、これまでの習慣を変えることの方がとても難しいからです。

こうして、会議に会議を重ね、2年後の1978年に一つの文書「ETUDES DE FORMATION MUSICALE フォルマシオン・ミュジカルの研究」が出来上がりました。この文書はフランスのすべての音楽学校、コンセルヴァトワールに配布され、同時に、ソルフェージュという言葉は「フォルマシオン・ミュジカル」という表現に取って代わったのです。こうしてその後、私はマーク・ブルーズの依頼のもと、フォルマシオン・ミュジカル教員養成クラスの指導者として任務され、引き受けることになります。❞ 

ソルフェージュ改革から30年以上経ち②に続く。

※この記事は2017年発行の『Odette Gartenlaub (Jean-Michel Ferran)』、FM指導者協会発行紙掲載記事、インタビュー音源、FM教員育成クラス出身者数名からの証言を抜粋しまとめたものです。


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